【コラム】 時計が好きなゆえの苦悩
最近、ちょっと気分がマイナスの方向へ行っています。
何故かというとですね、クロノスなど時計雑誌の記事を読んで
「なんで自分にはこのような記事が書けないのか」
そう悩んでしまうからなんです。
仕事も畑違いで、時計ジャーナリストでもなんでもない私が
こんなことを悩むのはおかしいかもしれませんが、
そう思って気分が凹んでしまうことがあります。
いやー、これは凄く落ち込みますよ。
普通の人、例えば全く自動車業界とは関係のない人が
「なぜ、自分は自動車を作れないんだろう」と悩んでしまうような不毛なことでは
あるんですが、でも、これが趣味に関する事となると話は別な筈です。
実際、自分以外でもそう感じている人も居るのではないでしょうか。
自分もこうした記事が書けたらなぁ、といつも思います。
でもそのためには、時計というジャンルに対して全般的(多方面)に興味を持って、
客観的に比較・検討できるかどうか、それが重要です。
なにより知識の蓄積が必要。
例えば、
・過去のモデルの歴史
・そのモデルの優れた点や問題点
・現在、改良が進んだ進化した姿
・業界の方向性、これからのトレンド
そうしたものが揃えられて、
更にそれがメーカーとモデル分が掛け算され、知識の蓄積となる。
当然、情報ソースの入手方法(情報を入手できる環境にあるか、人脈が作れるか)も
必要になります。
こうしたことができて始めて記事が書けるんでしょうね。
つまりは、興味の対象に対していかに情熱を注げるか、といったところでしょうか。
少し話がそれますが、皆さん「お金」は好きですか?
まぁ、よっぽど酷い経験をしたとこがない限り
お金が嫌いな人は居ないのではないかと思います。
では、なぜ人はお金を欲しがったりするんでしょうか。
私はいくつか経営コンサルタントの話を聞いて、
仕事をする上で、己の思考の中心に置くべき核となる考え方を
ようやく見い出しつつあります。
それについて少しお話ししましょう。
仕事をする上で「核となる考え方」
それは「お金を欲する本質」と「倫理・道徳観」の2つです。
なんだか俗っぽい言葉と抽象的な言葉が飛び出しましたが、
本当にこの2つだけです。
ちなみに、この考えに至ったのは以下の人物の影響が強いですね。
・スティーブンRコヴィー
・ジェームス・スキナー
・渋沢栄一
・松下幸之助
まず始めに「お金を欲する本質」からご説明いたしましょう。
そもそも、人は何故お金を欲しがるのでしょうか?
お金を得ていったい何ができるでしょうか。
物を買う、サービスを受ける、主にこのようなことだと思います。
もちろん、貯めるというのもあります。
では物やサービスを買うとはどういうことでしょうか。
答えはひとつ。
感情の変化を得ることに他ならない。
貯めることについても同様です。
感情の変化を得る。
全ての目的は「感情の変化」。
それはどういうことかというと、人々には様々な欲求があります。
人間の生命活動に必要な「食」を得るためにもお金は必要です。
安全安心な住まいを確保するにもお金が必要です。
当然、子孫を残し育てるためにもお金は必要でしょう。
そこまで大げさでなくても、娯楽のために千円、二千円使うこともあるでしょう。
皆、そうして使ったお金で全て、なんらかの「感情の変化」を得ているのです。
食であれば、より多くのお金を払えば、より多くの「美味しい」という感情が
得られます。
お金を払ったところで何も「美味しい」という感情が得られなければ、
その食べ物にお金は支払われません。
住まいに費用をかければ、より多くの安全性が確保でき、より多くの「安心感」が
得られます。
お金を払ったところで何の「安心感」も得られなければ、
その住居にお金が払われることはないでしょう。
この世に溢れるありとあらゆる製品・サービスがそうです。
ほかの例えで、海外旅行に行くとして、移動手段に飛行機を選んだ人は
「より拘束時間が短い移動手段がいい」と考え、苦痛を取り除きました。
またある人は
「急ぐのはもういいから、ゆったりと行きたい」との理由で船旅を、
この場合は「穏やかな気持ち」を選びました。
飛行機であれ船であれ、いずれの移動サービスにも
そこには「得られる感情」があるのです。
つまり、人はお金を使うことによって製品やサービスを得ているのではなく、
その製品やサービスを得ることによって「変化する感情」を得ているのです。
本を買って知識を得ようとするのも、
寄付をして誰かを助けようとするのも、
全て同じです。
人々が望む「お金が欲しい」という言葉の裏には、
「得たい感情がある」ということなのです。
もし、感情に変化が得られないお金の使い方があれば、
それは本当に無駄金と言えるでしょう。
お金を沢山得ることによって、自分の望む感情を沢山得ることができる。
極端に言ってしまうと、
お金には「得られる感情」が内包されている、ということになります。
ここで勘違いして頂かないでほしいのは、
お金が無ければ得たい感情が得られないというわけではありません。
望んでいる感情が得られる環境にあれば、そもそもお金は必要ないのです。
また他者に対して、その人が得たいと思っている感情を与えてみてください。
そうれば貴方にお金が入ってくることでしょう。
この考えをビジネスに当てはめて、「成功するポイントは何か」と問われれば
「顧客が望んでいる得たい感情を感じ取り、
それを与えることができる製品やサービスを提供すること」
という答えを導き出すことができるでしょう。
では、最初の話に戻って、
「なぜ私がクロノスのような記事が書けないか」
まぁ、知識の欠如は致し方ありませんが、それよりもなによりも、
様々な人の「これが読みたい」と思っている感情に応えるよりも、
当然、私には私の望む「得たい感情」というものがあり、
それが最も優先順位が高く、それ以外はどうしても下がってしまう、
ということにが根底にあるからです。
私が時計趣味で中心に置いていること。
それは、
「生涯をかけて勉強をし、最終的に自ら作りだすこと」
それを目標に進んでいるときの緊張感や充実感が得たい。
私にとって時計はコレクションの対象ではありません。
メーカーやモデルを比較し性能を比べるすることでもありません。
時計というものがこの世に誕生し、進化してきた過程や、
そのタイムピースを作りだすための工具や製造過程そのものに興味の焦点がある。
だから、クロノスのような多数のメーカー、モデル、過去や競合他社との
比較の記事は私には書けない。
そうした記事は、どうしても自分にとってプライオリティが低く、
書いたところで、私が望む「得たい感情」に近づかない。
恐らく、ある時計にネガティブな部分があったとしても、
自分が気に入ってさえいれば普通に褒めてしまうでしょう。
それが全ての人にとって有益な情報でなくても。
これが雑誌で書くことと、趣味のブログ記事との大きな違いでしょうか。
私は、手作りの息吹が感じられるような時計が好きなんですよね。
それでいてチョット古めかしい、けれど美しいもの。
ブレゲ、ラング&ハイネ、ジョージ・ダニエルズ、ロジャー・スミス・・・
そんな時計達。
逆にロレックスやタグホイヤーなんかは苦手な部類ですね。
でも、オメガは新技術に対するスタンスがとっても好きです。
最新の技術を出し惜しみすることなく、
マス・プロダクトとして適正な価格で即座にリリースしてくれる。
それも一部の製品に限らず全ての製品に採用しスタンダードにしようとする。
コーアクシャル脱進機であったり、耐磁ムーブメントであったり。
これには本当に敬意を表します。
素晴らしい。
というわけで、今回はダラダラ書いてしまいましたが、
気が向いたら、仕事をする上で核となる考え方のもう片方、
「倫理・道徳観」をコラムにしてみたいと思います。
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