西暦 |
地域 |
時計史 |
B.C.2000 |
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日時計が制作される。(雨や曇っていると使えない)
(季節によって影の長さ、時間が異なる) |
B.C.1400 |
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水時計が制作される。(悪天候でも時間を知ることができるようになった)
(日中と夜間での気温差で時間が異なる) |
B.C.500 |
ギリシャ |
文字盤付き日時計が制作され、公共建物、教会、宮殿などに設置される。(のち携帯用の日時計も制作される)
(携帯用は、素材に金、銀、象牙などを使用したものが登場) |
660 |
日本 |
中大兄皇子(のちの天智天皇)が漏刻(ろうこく:水時計の一種)を制作させる。(日本書紀の記述による) |
9世紀 |
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燃焼時計が盛んに作られる。種類:ろうそく時計、ランプ時計、線香時計、火縄時計(中国)、香時計(日本)
(物を消費するタイプであり、豊かな時代背景がうかがえる) |
14世紀 |
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脱進機をもった機械式時計が発明される。(発明者は不明) |
1336 |
イタリア |
ミラノの礼拝堂に機械式時計が設置される。(動力は重力の重錘(じゅうすい)時計) |
1370 |
ドイツ |
機械師アンリ・ド・ヴィックが、バリーの裁判所の屋上に棒テンプ(フォリオット)と冠型ガンギ車を使用した機械式時計を設置する。このド・ヴィックの脱進機を冠型脱進機(またはバージ脱進機)という。
(動力は200kgほどのおもり)
(精度は日差1時間で、針は時針のみ)
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1510 |
ドイツ |
ニュルンベルクの錠前職人ピーター・ヘンラインが動力ゼンマイを発明する。 この発明以降、機械式時計の小型化が進む。(重錘動力と異なり、高さを必要とせず小型化ができる) |
1551
(天保20年) |
日本 |
スペインの宣教師フランシスコ・ザビエルが、周防(現山口県)の守護大名である大内義隆に機械式時計を献上。(日本に初めて機械式時計が伝来) |
1581
(1583) |
イタリア |
ガリレオ・ガリレイが「振り子の等時性」を発見し、振り子時計を思いつく。(ガリレオ存命中に振り子時計は完成せず)
(振り子の等時性:振り子は大きく振っても小さく振っても、一往復に要する時間は一定) |
1654 |
イギリス |
イギリス人学者ロバート・フックはひげゼンマイの研究を行い、それが振り子と同じく一定周期で振動することを発見する。(のち1660年に、弾性のあるばねの伸びに対して張力が正比例することを示した「フックの法則」を発表) |
1657
(6月16日) |
オランダ |
物理学者クリスチャン・ホイヘンスが、振幅が大きくても等時性を維持できる「サイクロイド曲線」を描く振り子、および振り子に動力を与える方法を発明し、実際に振り子時計を完成させてオランダ議会に設置する。(精度は日差5~10分で、分針が取り付けられる)
(実際の制作は時計師サロモン・コステル) |
1673 |
イギリス |
ドイツ人の時計師ウィリアム・クレメントがアンクルとガンギ車からなる退却型脱進機を発明し、クロックから冠型脱進機をなくす。(この頃から秒針が取り付けられる)
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1675 |
オランダ イギリス |
ホイヘンスが、フックの発見した「バネが振り子と同じく一定周期で振動する」という法則を利用して、ひげゼンマイ付き円テンプを発表。同年、フックの依頼により、ロンドンの時計工場の指導者で「イギリス時計産業の父」とも言われるトーマス・トンピオンがバネ付き円テンプを制作。
これらバネによるテンプが懐中時計に応用され、小型化と高精度化が進む。 |
1695 |
イギリス |
トーマス・トンピオンがシリンダー脱進機を発明。(シリンダー脱進機:アンクルは無く、ガンギ車が直接テンプの軸にある半円筒状のシリンダーの回転によって脱進を行う機構)
(この時発明されたシリンダー脱進機は置時計用で、耐久性は高くない) |
1714
(7月8日) |
イギリス |
海上で正確に経度の測定ができる方法を実現させた者に多額の賞金を与えるとした「経度法」が制定される。
1等:経度の誤差が2分の1度以内の精度で経度を決定する方法に対して2万ポンド (現在の数百万ドル相当)
2等:経度の誤差が3分の2度以内の精度で経度を決定する方法に対して1万5000ポンド
3等:経度の誤差が1度以内の精度で経度を決定する方法に対して1万ポンド
(「2分の1度以内の精度」とは日差3秒以内)
(経度1度は赤道上で111km。およそ60海里) |
1714 |
イギリス |
ジェレミー・サッカーが、自身が考案した真空の容器に入れた高精度の時計に「クロノメーター」という造語を付ける。 後に高精度の海洋時計は一般的にクロノメーターと呼ばれるようになる。(当時、一般的な時計は日差5分だったのに対して、サッカーのクロノメーターは日差6秒) |
1715 |
イギリス |
トンピオンの弟子ジョージ・グラハムが直進型脱進機(グラハム脱進機)を発明。
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1720頃 |
イギリス |
後に経度法の条件を満たす時計を作成することになる北イギリス・ヨークシャー出身の大工、ジョン・ハリソンが摩擦の極めて少ない「グラスホッパー脱進機」を発明する。(クロノメーター史研究で有名なルパート・T・グルード氏の著書「Marine Chronometer, its History and Development」の中に、「ハリソンのグラスホッパー脱進機は月差1秒の精度であった」とある) |
1727 |
イギリス |
トンピオンが発明したシリンダー脱進機を弟子のグラハムが懐中時計用に改良、小型化。 |
1735 |
イギリス |
ジョン・ハリソンが自身最初のクロノメーター「H1」を完成させる。
H1は制作期間5年、34kgあり、四方1.2mのケースに収められていた。
このH1の完成の影には、ハリソンのアイデアに感銘を受けた時計師ジョージ・グラハムによる金銭的支援(大金、利子なし、返済も急がない)があった。 |
1737 |
イギリス |
ジョン・ハリソンがイギリス経度評議会から500ポンドの支援を受け2個目のクロノメーター「H2」を完成させる。H2は39kg。H1よりやや小型。 温度変化や船上での揺れの対策が強化されていた。
この頃からハリソンの収入源は経度評議会からの開発支援金のみとなり、クロノメーター制作に没頭するようになる。 |
1754 |
イギリス |
グラハムの弟子トーマス・マッジが分離式レバー脱進機を発明。(図:のちに懐中時計で見られる一般的なレバー脱進機)
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1757 |
イギリス |
ジョン・ハリソンが3個目のクロノメーター「H3」を完成させる。H3は23kgで高さ60cm、幅30cm。 円テンプを2個装備。
また、ジョンはH3制作過程でリテーナーに収まったベアリングを発明している。 |
1759 |
イギリス |
ジョン・ハリソンが4個目のクロノメーター「H4」を完成させる。H4は大幅に小型化され1.4kg、直径13cmの円形。 パワーリザーブ30時間。 小型化に伴い、ベアリングは廃止された。
1762年に経度評議会によって行われた航海テストによると、81日間で5秒の遅れ。 |
1770 |
イギリス |
ジョン・ハリソンが5個目のクロノメーター「H5」を、前作H4の現物と設計図を経度評議会に預けたまま記憶のみで完成させる。H5はH4とほぼ同じだが、装飾は簡略化。
イギリス国王ジョージ三世のもと、1772年の5月から7月にかけて行われた10週間のテストで日差0.3秒を記録。
この業績が認められ8750ポンドがハリソンに支払われた。
だが、この直後の1773年、経度法はほとんどクリアできないと思われるほどの過酷な試験を課す新たな法に改定され、以降、二度と賞金が払われることはなくなる。
(試験内容は「時計は複製を用いて、グリニッジ天文台で1年間にわたる実験を受けた後、経度評議会が指定する目的地まで東まわりと西まわりの2度の航海を行い、再びグリニッジ天文台で航海後の観察をまる1年間続ける」というもの) |
1920
(大正9年) |
日本 |
6月10日を「時の記念日」と制定。(671年4月25日(現6月10日)に、天智天皇の漏刻の鐘によって宮中に時が知らされるようになった日) |