時計に関する特許を読む。 ロレックス編
時計の知識を深めるために読み始めた時計の特許。
ブランパン、ショパールと続いて、今回目に留まったのは、
ロレックスの「ひげぜんまいのトルクを測定するための装置」です。
出願番号:特開2012-53044
出願人:ロレックス ソシエテ アノニム (スイス国)
発明者:マーク セルッティ
発明の名称:ひげぜんまいのトルクを測定するための装置
もし、ヒゲゼンマイを自作することになったら、こうしたトルクに関する知識
も必要になるのではないかと思い、題材に挙げてみました。
時計の調速機の製造において、ヒゲゼンマイの長さなど昔は勘に頼っていた
部分もあるでしょうが、大量生産する昨今の現場では、ヒゲゼンマイや
テンプの作成に慣性モーメントを計算できるソフトを使うのは常識です。
当然、設計が完璧だからといって実際に出来上がったものをテストしない
ということもありません。
ロレックスでは繊細なヒゲゼンマイを、傷付けず、大量に、正確にトルク測定
する方法を考案したようです。
では、その特許装置の構造を見ていきましょう。
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【課題】
てん輪-ひげぜんまい振動子のためのひげぜんまいのトルクを測定するための装置、トルクを測定するための方法の提供。
【解決手段】
この装置は、その上に座部が配置される心棒と、前記心棒に関連付けられる基準要素と、前記心棒を枢動させるための枢動手段3、4と、前記ひげぜんまい5の外側端部を、前記測定中に前記心棒に対して固定したままにするための手段と、前記座部の一部分の上に設けられた弾性要素2bと、前記弾性要素上に作用するための手段7とを備え、前記ひげぜんまいの内側端部が、ひげ玉5aに固定されることと、心棒の座部の直径が、ひげ玉の軸方向開口の壁部との摩擦による駆動連結を可能にする寸法であることと、手段7の作用の下で、駆動連結を形成する座部の部分の断面を前記ひげ玉の軸方向開口の寸法より大きい寸法からより小さい寸法にするように、弾性要素が形成されることとを特徴とする。
1 はずみ車
2 心棒
2a 心棒の上方部分
2b 弾性要素
2c 軸受表面
3 枢動手段
4 駆動手段
5 ひげぜんまい
5a ひげ玉
5b ウエハ
7 締付ピンサ
8 光学手段
B フレーム
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特許文章ですのでこのような難文になっていますが、よーく読むと、構造は
こうです。
・テンプの天真が長い心棒②があり、その先端にはスリット②bが切ってある。
・そのスリット②bを締付ピンサ⑦で締めることによって心棒②が細まる。
・細めた心棒②に、トルク計測したいヒゲゼンマイ⑤のヒゲ玉⑤aを差し込む。
・締付ピンサ⑦を緩め、心棒②とヒゲ玉⑤bを圧力固定する。
・ヒゲゼンマイの外端は、ウエハ⑤bに連結さており、ウエハ⑤bはフレームBに固定されている。
・心棒②は、下部の軸受③と空気軸受(エアーベアリング)④で保持されている。
・テンワ(はずみ車)①の下部には光学機器⑧が設置されており、振動数を測定する。
うーん、
何回も図面と文面を行き来しなければなりませんでしたが、なんとなく構造が
分かりました。
では、このような装置でどうやってトルク計算するのでしょうか?
とりあえず読み進めます。
続いての文面はこうです。
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【発明の詳細な説明】
ひげぜんまいを製造するための方法の不正確さおよび幾何学的なばらつきはわずかであるが、通常1%である目標値に対してひげぜんまいのトルクのばらつきを生じる。これは、Invar(登録商標)、Elinvar(登録商標)、またはParachrom(登録商標)合金など金属合金線で製作される、アルキメデススパイラルタイプのひげぜんまい、および、微細加工方法によりシリコン、ダイヤモンド、またはクウォーツウエハから得られるひげぜんまいの両方において観察される。
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実は、この文面の前にもいくつかポイントがありました。
余りにも長かったので箇条書きで列挙することにします。
・計測するゼンマイは単数でも複数でも構わない。
・振動数はテンワの慣性で決まり、ワッシャーなどの錘で調整できる。
・錘での調整範囲は100秒/日だが、しかしこれでは精度が不十分。
・テンワとヒゲゼンマイを結合させる前に、ヒゲゼンマイのトルク測定をする必要がある。
なるほど。
上記の【発明の詳細な説明】にも具体的なキーワードが出てきましたよ。
○要約
ヒゲゼンマイは、インバー、エリンバー、パラクロムのほか、
シリコン、ダイヤモンド、クォーツウエハ製ヒゲゼンマイでも測定OK
つまり「素材を選ばないから万能だよ」と言いたいようです。
参考までにヒゲゼンマイの素材を調べてみました。
インバー:ニッケル36%、鉄64%の合金
エリンバー:ニッケル36%、鉄52%、コバルト12%の合金
パラクロム:ニオブ、ジルコニウム、ハフニウムの合金
Nivarox:コバルト(42~48%)、ニッケル(15~25%)、クロム(16~22%)、
鉄(少量)、チタン、ベリリウムの合金
(割合が違うのは、Nivaroxヒゲゼンマイにはいくつのバージョンが存在する
ため)
さらに読み進めると・・・
来ました!
トルク計算方法の核心部分!
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【背景技術】
ひげぜんまいおよびてん輪を備える腕時計の機械的振動システムの固有振動数fは、f = ( 1 / 2π ) √ ( C / I )であり、ここでCは、ひげぜんまいのトルクであり、Iは、(てん輪の慣性モーメントと等しい一次近似としての)振動システム全体の慣性モーメントである。てん輪およびひげぜんまいは、1日に少なくとも2分から5分、したがって1%の桁の精度で、求められる固有振動数が得られるように較正することができる。次いで、たとえば調節器を用いて、あるいは、てん輪によって形成されるはずみ車に対して径方向軸に沿って動かすことができるナット、ねじ、または錘手段により、慣性が調整可能なてん輪の慣性を調整するための手段を用いて、腕時計の微細な調節が行われる。
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なんと、振動数の計算式が書かれていますね!
■振動数fの求め方
f = ( 1 / 2π ) √ ( C / I )
f = 振動数
C = ヒゲゼンマイのトルク
I = テンワの慣性モーメント
π = 円周率
実に興味深い。
これは確実にメモしておきましょう。
ちなみに、テンワの慣性モーメントの求め方ですが、
■中空円柱の慣性モーメントの求め方
Iz = M(R²+r²) / 2
Iz = Z軸に関する慣性モーメント
M = 質量
R = 外径の半径
r = 内径の半径
この式でいいんでしょうかね?
リムの計算はこれとして、アームがあるので不完全でしょうけど・・・
ちょっとまだ勉強不足。
で、先ほどの振動数fを求める式を用いてトルクを知ることになります。
まずは計測装置にヒゲゼンマイをセット。
所定の慣性を持つテンワを用意し振らせます。
そして、テンワの下に設置した光学機器でその振動数を測定するのです。
※ 光学機器を用いた振動数の計測方法については、本特許を理解するうえで
必要はない、とのことで割愛されていました。
固有振動数を求める式が『 f = ( 1 / 2π ) √ ( C / I ) 』なのですから、
この内、振動数fと慣性モーメントIが分かっています。
ということは、残りのゼンマイトルクCも導き出せるというわけなのです。
う~ん、凄い・・・
数式の意味が解らない(笑)
どうやったらこんな式になるのやら。
でもこれで、どうやってヒゲゼンマイのトルクを求めるのか知ることができ
ました。
これは大きいです。
さらには、このロレックスの測定特許。
シリコン製ヒゲゼンマイの製造現場において、この計測方法は製造工程に
組み込むのが大変容易なようです。
この文面も要約しました。
・シリコン製ヒゲゼンマイは、ディープエッチングで形成された後、熱酸化を
実施し、シリコンを酸化シリコン層で覆うため、計測および等級分けは必須。
・シリコン製ヒゲゼンマイでは、ウエハにまだゼンマイが固定されている間に
計測することが可能。
・機械的作業において、1枚のウエハ上にヒゲゼンマイが並んでいるため作業
が非常に容易。
ここで「等級分け」という言葉が出てきています。
等級分けってなんでしょう?
特許文章を隅々まで読むと、このようなことが書かれていました。
・テンワ&ヒゲゼンマイの組み合わせは、テンワの錘によって1日に1分から
5分(1日に1%桁)の精度で調整できる。
・テンワ&ヒゲゼンマイの組み合わせの調速には3つの方法がある。
1.ヒゲゼンマイの有効長を変える。
2.クォーツなど高精度のものと比較してヒゲゼンマイの有効長を変える。
3.複数のヒゲゼンマイと複数のテンワを組み合わせて、日差2分以内の
組み合わせを探す。
だそうです。
なんだか1と2が被っていますが、問題は3番目。
どうやらロレックスのような大量生産の現場では、テンワとヒゲゼンマイを
基準と比較して等級分けしているようですね。
その理由は、そもそも振動精度というのは、「ヒゲゼンマイのトルク」と
「テンワの慣性」の組み合わせによって変化しますので、ロレックスに
限らず?、必要に応じてヒゲゼンマイとテンワを等級分けして、その中で
ベストマッチするものを組み合わせているようです。
なるほど、なるほど。
そういえば自分も、ETA2892-A2のテンプ交換をしようとしてパーツ手配した
とき、テンプとヒゲゼンマイはセット販売のみでしたね。
ETAがセット販売しかしていない理由は、製造段階でヒゲゼンマイとテンワは
それぞれ等級分けされており、その2つが適切に組み合わされて初めて精度が
保障される、と考えているからではないでしょうか。
(ETAが実際に等級分けして製造しているかは分かりません)
ともあれ、
今回の特許の読み込み。
また一つ、面白いことを知ることができました。
特に、ヒゲゼンマイのトルク計算式を知ることができたのは収穫です。
この調子でどんどん勉強していきましょう。
次はオメガかパテックあたりを覗いてみようかと思います。
コメント
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コメント (8)
f = ( 1 / 2π ) √ ( C / I )、いただきました!
とてもシンプルかつ古典的な式に見えます。
殆どの実測値は空気抵抗等の影響で
違ってくる事と思いますが・・・
大学で4年程物理学を勉強した私にも
恥ずかしながらどういった根拠で
出てきているのか分かりませんw
時計学、一度ちゃんと学んでみる必要あり、
ですね。
ありがとうございました。
wakmanndiverさん
特許は、現状の問題点、解決方法、有用性をはっきりと明記しなければ
なりませんので、読み込むと相当勉強になります。
しかも記述内容に、憶測や勘違いがありません。
まさに宝の山です。
例のヒゲゼンマイのトルクを求める式ですが、
実際に値が代入された状態を見たいところです。
ヒゲゼンマイの実際のトルク値や、慣性モーメントの値などは
馴染みがなく想像できません。
どなたかチャレンジお願いします(笑)
C=4ffI/ππ
クロノスさんをパラパラめくっていたら
グランドセイコーのファースト、
Cal.3180のテンワの慣性モーメントが
23.3mg.cm2と乗っていたのをそのまま使うと
Cal.3180のヒゲゼンマイのトルクは
(4×5×5×23.3)/(3.14×3.14)=2330/9.860=236.3[mg・cm2/s2]
こんな感じでしょうか?
学生の頃を思い出しましたwww
ちなみにcm2とs2はおのおのの自乗です。
これは本来どのようにキーを打てばよいのでしょうか?
早速の計算、有難うございます!
自乗の表記は、全角の2を変換したときの記号の項目にあるそうです。
機種依存文字?
236.3[mg・cm²/s²]
後はトルクの単位ですね・・・
ETA7750の主ゼンマイのトルクは「9.22 Nmm (940 pmm)」とありましたので、
同じくヒゲゼンマイも、トルク単位をNmmで表すものなのか、
追加調査が必要になりそうです。
N(ニュートン)はkgm/s2、
これにmmを掛けるとしますと
質量×長さの自乗/時間の自乗ですから、
単位系が違うだけですね。
しかし小さなヒゲゼンマイのトルクに
MKS単位系を使うのはピンと来ません。
単に私が素人だからなのでしょうが。
時計学の本、代官山のツタヤさんに探しに行ってきます!
手元にあるヒゲゼンマイの本『The Spiral Hairspring』に
このような式が書いてあるのを見つけました。
C = I ( d²a / dt² )
ちょとd²a/dt²が何にあたるのかを翻訳してみます。
(加速度?)
いま気づいたのですが、ヒゲゼンマイは螺旋状なので、
角度と半径に応じてトルクが変化するかもしれません。
>d²a/dt²
加速度・・ですかね。
円運動の文献を見てると、こんな表記が見られました。
円運動を定義して、位置 r 、速度 v としたとき
XY座標での速度ベクトルは V=dR/dt (dx/dt,dy/dt)だから
加速度F = ma = m(dv/dt) = m(d²r/dt²)
このあたりは専門外ですみません。
特許そのものは専門なんですけどね。
出願手続きと特許公報検索で飯食ってます。
BFNさん
加速度Fの計算式を見させていただいた限り、
トルクを求める C = I ( d²a / dt² ) と
加速度を求める F = m (d²r/dt²) は、
非常に近いものを感じます。
今更ですが、古典力学を基礎からやり直しです・・・
>特許
凄いですね。
仕事でやっていたらストレスで胃が無くなりそうです。
特許文章の書き方は独特ですが、
読みなるようになれば、相当知識が付きそうですね。
これは確実に武器になります。