大航海時代と精密時計 その2
前回は縦座標である「緯度」についてご説明しました。
今回は、時計が密接に関わる横座標「経度」の測定方法についてです。
経度はその昔「計測すること=不可能なこと」と言われるほどでした。
それこそ、不老不死、永久機関、錬金術と同列の話題に挙げられるほど。
当時は経度の測定精度が未熟であったがゆえに人的、財産的な損害は相当な
もので、私が読んだ文献によると、今では想像がつかないほど重要な問題で
あったようです。
実際、本の中に経度について以下のようなエピソードが書かれていました。
●経度が正しく測定できなかったために座礁した船は何百隻もあった。
●予測よりも長期間の航海になると船員は壊血病にかかり毎日6~8人が死亡
した。 (壊血病:ビタミンCの不足により血管が脆くなる出血性の障害)
●経度が分からないため外洋に出ることができず、狭い航路に軍船、商船、
海賊船がひしめき合っていた。 そのため狭い航路を巡って船舶同士の争いが
絶えなかった。
●イギリス船とポルトガル船が航路上で争い、50万ポンド相当(現在の数千万
ドル相当)の財宝(金貨、銀貨、真珠、ダイアモンド、琥珀、黒檀、スパイス
など)を積んだポルトガル船が沈んだ。 50万ポンドとは当時のイギリス国費の
半分に相当。
●アイザック・ニュートンは正確に経度を計測することは不可能と考えて
いた。
●ガリレオ・ガリレイは木星の衛星の満ち欠けのタイミングで経度を測定
しようとしていた。
●エドモンド・ハレーは天体運行による経度測定の研究に没頭していた。
●「ガリバー旅行記」の中でガリバー船長は、もし不死身だったらという
問いに対し「経度、永久運動、万能薬の発明の瞬間に立ち会えるはずだ」と
答えた。
●1714年、イギリスで経度の計測法を確立した者に、王の身代金に相当する
額、賞金2万ポンドを与える法律「経度法」を発令した。(2万ポンド≠現在の
数百万ドル)
●現在、経度の基準点となっているグリニッジ天文台は、天体の運行によって
経度を導き出そうとするための公的機関であった。
経度を取り巻く環境の、なんとスケールの大きいことか。
この時代、国も著名な学者たちも天体の運行こそが経度問題を解決するものだ
と信じて疑わなかったようです。
経度の測定というのは、正確に時間を把握することが大前提です。
「どこに居ても正確に時間を把握すること」
当時、この問題を解決する最も正確であった方法は「○○年××月に△△△座の
□□□星を月が何時に通過したらその場所は経度θ°」というように天体の運行
を読み取ることでした。
※ ただし天体運行を把握するには膨大な時間と精密な計測が必要であった。
更に南半球から見える天体に関してはまだ未知の世界。
これらの話で面白いのは、実際に経度問題を解決した「精密時計」について、
誰も研究をしていないことです。 そして、一介の大工であるジョン・ハリソン
が経度問題を解決するなど一体誰が想像できたでしょうか。
おそらく、ハリソン以外は―
では、実際に経度を測定する方法ですが、
ここでは話を簡単にするために全て赤道上ということで話を進めます。
まず経度測定は「太陽」と「時間」が密接に関係しています。
初めに太陽についてですが、「正午になると太陽が一番高い位置に来る」と
いうこの考え、実は少し違っていて「太陽が一番高い位置に来るとき、正午
とする」、本来はこれが正しいのです。
太陽が一番高い位置に来ることを「南中」と言います。
そして、「南中からまた翌日の南中までを一日とし、それを24分割したものを
1時間とする」
そう、時間の概念は、そもそもは天体の運行を元にしたものなのです。
(※実際は季節によって南中時刻は変化します。地球は太陽の周りを公転して
いますが、その軌道は楕円であるため、地球と太陽との位置によって一年の
うちで公転速度に差があり、南中時刻は世界時で2月11日で12時14分頃、
11月3日で11時44分頃となります。
このような「南中時刻」と「時計の時刻」の差を均時差(きんじさ Equation of
Time)といい、均時差 = 平均太陽時(時計の12時) - 視太陽時(日時計の正午)
で表されます。
例:南中時刻12時14分である2月11日の均時差はマイナス14分)
下図で、地点Aに居た人が時計を持って翌日に地点Bに移動したとします。
移動先の地点Bでは、太陽が南中したとき時計は13時を示していました。
この場合、地点Aと地点Bの角度は何度でしょうか。
これが時計を使った経度の考え方です。
南中したとき、地点Aと地点Bの時差は1時間ありました。
地点Bで南中が1時間遅れましたので、地点Aより西に位置していることが
分かります。
地球は1円360°で、24時間で一周します。
ということは、360÷24で1時間で15°回転する計算です。
南中1時間の差 = 経度15°の差
つまり、地点Aと地点Bは経度にして15°離れているということです。
※ 太陽の高さの測定については「四分儀」という計測器をが用いられて
いました。後に望遠鏡が付いた高精度の「六分儀」に代わりますが、
どのような見方をするかはwikiにある「六分儀」のイラストが大変分かり
やすいです。
航海では2つの時計を持っていきます。
1つは、出航した港の現地時間を知るための時計。
もう1つは、移動した先々で南中時に時間を12時に合わせる時計です。
経度を知るためには、この2つの時計の時差を読み取ればよいのです。
ただし、これは「港の時間に合わせた時計が全く狂わない」という前提です。
(移動先の現地の時間は、南中時に随時12時と設定すればよい)
もし、この港時間の時計が一日に1分狂ったとしましょう。
1時間狂うのに60日、2か月もあれば十分です。
大航海時代において船旅に半年以上かかることなどザラです。
1時間も狂った時計で、赤道上で経度を知ろうとした場合、
距離としてどの程度差が出るものなのでしょうか。
実際に計算してみましょう。
赤道の一周は約4万kmです。
1時間(15°)の差ですから、360÷15=24、40000÷24で約1666km。
1600kmは直線にすると東京から上海までの距離に相当します。
これはかなりの距離です。
イギリスが発令した「経度法」は日差3秒以内でした。
この数値の根拠は「イギリスからカリブ海を渡るのに要する40日の航海で、
誤差が許容できるのは2分まで」だからで、40日で120秒の差を計算すると、
1日3秒以内です。
しかし、当時の時計にそんなことができたでしょうか。
当時は日差10~15分もありました。
しかも振り子時計だと揺れる船上ではまともに動きません。
さらに金属でできた時計は温度変化で簡単に狂います。
暖かい地方では金属が伸びて時間が遅れ、寒い地方では金属が縮み進み傾向。
時計がこんな技術背景にも関わらず、
「正確な時計を2つ持って航海に出れば経度が分かります」
なんて言い出す時計師が居たらどうなるか。
国の支援を受け、毎日、第一線で経度について研究している天文学者達から
「現状を理解できていない大馬鹿者だ。航海において時間を正しく知ることの
できる唯一の方法は星図を作成することだ」と笑い物にされていたことで
しょう。
無名のジョン・ハリソンが日差0.3秒(記録では81日間の航海で5秒の遅れ)の
クロノメーターを完成させ、テスト航海で有効性を認められるのは、経度法の
制定から約50年後のことでした。
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